中東のもてなし文化

文=杉田 英明 東京大学大学院教授、写真 =松本 路子

中東・地中海世界は「もてなし文化圏」の中核と呼ばれるのにふさわしい地域である。商業が大切にされるこの一帯では、オデュッセウスの昔から、旅人のもたらす土産話が商品の一種と見みな做され、それを聞くために客人歓待の習慣も発達した。一方、見知らぬ他人に対してさえ物惜しみをしない寛大さこそは、勇敢さや誠実さと並んで、イスラム以前のアラブの人々が理想とした最高の人間的美徳であった。

宗教としてのイスラムもまた、もてなし文化の受容と普及に貢献している。預言者ムハンマドの言葉に「神と最後の審判を信ずるものは、客人を歓待せよ。第一日目は特別のご馳走をして三日間もてなすように。それ以上は施しと見做される」とある。三日間とは、供された食事が客人の体内にとどまる期間だと言われる。例えば『アラビアン・ナイト』の「荷に かつ担ぎ屋とバグダードの三人の娘の物語」のなかに、旅の途中盗賊に襲われて無一文となった王子が、異国の仕立屋の店で三日間饗応され、その後に初めて、樵き こり夫となって働いてはどうかと主人に助言される場面がある。これも伝統的なもてなし規定の反映であろう。イスラムの拡大とともに、そうした慣行はユーラシアの東へと浸透していった。十四世紀のイブン・バットゥータをはじめ、多くの旅行家や托鉢僧が身軽に、自由に各地を遍歴できたのも、この美しい風習によるところが大きい。

宿泊施設が整った現代では、旅人が昔ながらの「三日間の歓待」を文字通り体験できる機会はさすがに稀になってしまった。だが、その精神の名残りとも言えるのが、随所で出されるお茶やコーヒーであろう。とくにアラビア半島では、洗練された所作によるコーヒー接待が、儀式の域にまで高められている。アラビア・コーヒー自体に砂糖を入れない場合、代わりに甘い棗椰子(なつめやし)の実が添えられることも多い。

十五世紀、エチオピアからイエメンに初めてもたらされたコーヒーは、以後瞬く間に中東各地へ広まった。語源となったアラビア語「カフワ」は、元来、欲望を除去する飲み物という意味を持ち、当初は食欲を減退させる葡萄酒の別名であった。それがやがて、眠気を遠ざける効果のあるコーヒーの名称に転化したのだという。語源から見る限り、陶酔ならぬ覚酔こそが、 「イスラムの酒」コーヒーによる客人歓待の真髄と言えるのかもしれない。

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